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ブラジル・日本人サンバダンサーの華麗な日常

ブラジルに住む日本人サンバダンサーの全く華麗ではない日々

セバスチャンのいる人生

前回の更新からずいぶん日が経ってしまった。

日本の友人からは死亡説が出るほどやや心配をかけた。

とっくに休みも終わり基本サンパウロに戻って比較的平穏な日々を送っていたのだが、こちとらこち亀の200巻を読んだり、キングオブコント2016を観たりと私にとっての最重要ミッションをこなすためとても忙しかったので、更新が滞って心配をかけた友人もどうかここは大目に見て欲しい。

冷蔵庫の中のものや飲み物が消えたり(犯人は大家のレオ)、お掃除のおばさんと私が喧嘩したりして緊急住人会議を開くなどとトラブルもあったのだが、サンパウロの暮らしは自分にとってやはり落ち着く。

それはかなりの部分同居人のメキシコ人セバスチャンのおかげによるところが大きい。

大家のレオとファビオは週のほとんどを中距離バスで1時間以上かかる街で過ごしておりたまにしか帰って来ないので、必然的にセバスチャンとの距離がぐっと近くなる。

セバスチャンは、なんというか、とてもチャーミングな男だ。

他人の感情の機微にも敏感で、私に嫌なことがあって落ち込んでいるといち早く察知し、何かあったのかい?と聞いてきてくれ、いろんなイベントに誘ってくれたり慰めてくれたりもしてくれる繊細で優しい人だ。

 

彼は“ラテン髭男爵”“メキシコ蘇民際”とも言うべく、むくつけの熊さんのような容姿をしているのだが、旅行中に知り合ったサンパウロに住むブラジル人とずっと連絡をやりとりをしているうちに恋に落ち、彼の勧めもあってブラジルに住むことになったというなかなか情熱的な経緯でここにいる。

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だが、いざ来てみるとその彼氏は日本でも有名な宗教の熱心な信者で、せっかくサンパウロの都会の真ん中の発展場近くの彼氏の家に招かれて住んだにもかかわらず、その宗教の集会以外での外出は許されず監禁同様の日々の中で彼との仲も険悪になり、もう帰ろうかというときにメキシコの領事館で観光課の仕事の誘いを受け、偶然レオとも知り合い、この家に住むことになったということだった。

 アメリカやイタリアに1~2年留学していたこともあり、映画なども英語でほぼストレスなく観られるほど英語が堪能で、まだブラジルに来てから1年ほどだというのに私よりポルトガル語もよほど流暢なので、ポルトガル語と似た言語のスペイン語圏出身とはいえ私からすると羨ましい限りだ。

 

彼に好感を持つにつれ、私もメキシコのことが気になるようになった。

ネットで軽くメキシコ人の国民性など調べ、メキシコ人はあなたのようにみんなそんなに陽気で面白いの?と質問すると、

みんな陽気だよ。でも僕はメキシコ人の友達からも陽気だねなんて言われてたかな、

と言うので、

彼はメキシコ人の中でもとにかく明るいセバスチャン、ということで間違い無いようだ。

 

夕食の時間が重なると、じゃ、今日は私が(僕が)何か作るけど食べるかい?と料理を作り合い、お互いのことやお互いの国のことなど話しながらごはんを食べるのもとても楽しい。

ごはんを食べる前に私が手を合わせ“いただきます”と言うと、彼もそれに倣ってたどたどしく“イタダキマース”などと言ってくれる様もとてもおりこうさんでかわいらしい。

あまり好き嫌いは無く、ほとんどのものをおいしいおいしいとたくさん食べてくれるのでとても作り甲斐がある。

ラーメンに入れた自家製チャーシューをとても気に入ってくれて、ふた切れのっていたそのひとつを最後まで残し、ああ、おいしすぎる、、食べたいけど食べるのがもったいないよ。。。と慣れない箸使いでちょいちょいとつついては躊躇して見せ、今までの人生で食べたお肉の中で一番おいしいよ!!などと手放しで褒めてくれる。

これを読んでいる旦那様方もメキシコのゲイを見習い即刻妻の手料理を食べたら涙を流して喜ぶべきだと思う。(※別にセバスチャンは泣いていない。)

彼の料理もなかなかの腕前で、メキシコから取り寄せたハバネロのタバスコなどを振りかけた本格的なメキシコ料理を振舞ってくれたりもする。 

 

こないだは私の作った麻婆豆腐と春雨スープを食しながら、日本語でよく使う汚い言葉は何だ?という話になった。

こちらでよく聞かれる質問なのだが、ポルトガル語に比べて汚い言葉というのは日本語にはあまりないように感じているのでそのように述べた。

ではPUTAという言葉は無いのか?ゲイシャ(芸者)と言うのか?と言い募ってくる。

うーん、直訳するとPUTAは売春婦だろうが、悪口を言うときにあんまり使わないよなあ、、、強いて言えば売女(バイタ)だろうか。

さらにVAGABUNDOは何と言うのだ?と聞かれ、バガボンド、、、放浪者という訳はブラジルで使う意味とはちょっと違うよなあ、、、。

考えあぐね、バガボンド、それは日本の若者言葉?でチャラ男と言うのだとちょっと適当に答えた。

 

興味深そうにうなずいたのち、閃いたというようにセバスチャンは、こう言った。

 

 

 

 

『モシモシー、チャラ男ー?ワタシー、売女。』

 

 

 

セバには以前から折に触れちょっとずついくつかの日本語を教えたりしていた。

彼の中で何かが繋がったのか、いくつかの知った単語をつなぎ合わせ、ひとつの文章にしてみせた。

 外人特有のなまりによってこの売女の頭のイっちゃっている感じがほど良く表現されている。

 

この売女は自分が“売女”だということをチャラ男という男に対してどうしても伝えたかったらしい。しかも、電話で。

その状況や関係性を想像すると可笑しくなり、

 

な、なぜ、、売女は、、、わざわざ、、、で、電話するの、、、? チャ、チャラ男に、、、、?

 

と、ひーひーと笑いながらツッコむと、彼は“もしもし”というのを“こんにちは”的な挨拶のひとつだと思い込んでいたらしく、それにしてもと一緒にしばらく笑い転げた。

彼は爆笑すると笑い声が出なくなるタイプで、声を出さず顔と全身で爆笑を表現するので、その誘い笑いにつられこっちもさらに可笑しくなってしまう。

 

ベランダに出たら扉が開かなくなったので内側から開けてくれと私が懇願すると、ガラス戸の向こうで耳に手を当ててわざと聞こえないゼスチャーをするお茶目なセバスチャン。

サンバやファンキの腰の動きを覚えたいというので鬼コーチ(私)に違ーう!もっと腰をこう突き上げて!!と、しばかれながら真夜中の台所の冷蔵庫前で懸命に腰を振る汗だくのセバスチャン。

大声でオペラを高らかに歌いながら帰宅し私にジェントルマンがするような挨拶をして華麗なターンを決めセクシーポーズを取り、そのまま何事もなかったかのように歌いながらどこかへ去っていく自由なセバスチャン。

音楽とダンスをこよなく愛し愉快で心優しい彼のことを私はすっかり大好きになってしまった。

 

だが彼の仕事の契約は今年の2月までで、その後はどうなるか、どこに住むかもわからないと言う。長くいても今通っているブラジルの学校も9月で卒業できるので、その後はメキシコに帰るつもりでいる、と私にとってとても悲しいお知らせをしてきた。

 

ブラジルで暮らしていると、日本にいた時と比較して数えきれないほどの別れが訪れる。

私のこちらでの日本人の友人や仕事関係者は日本から2~3年の長期滞在者や駐在関係者が多く、大好きになった人たちとのせつない別れを何度も何度も経験している。

慣れてはいるし覚悟はしていても、帰国が決まった友人やレッスンに来てくれていた生徒さんとの最後の日にはその場では堪えても帰り道や家に帰ってからおいおいと泣いてしまったり、時には目の前で涙が止められなくなることもしばしばだ。

 

 セバスチャンには一緒に暮らしているせいか、既に家族のような情愛を感じてしまっている。

例えるなら、彼がどこで何をしていても構わないが、私がいないときにひとりでごはんを食べているのを想像したりすると、ひとりぼっちで寂しい思いをさせてしまってはいないかといたたまれなく胸が痛むような、そんな感情だ。

メキシコは日本と少し似ている封建的な部分があるようで、彼も自分がゲイだと言うことを幼いころから気が付いていながらも隠さなければならず、ずいぶん悩んだりつらい目に遭ったりもしたらしい。

自分の意志で変えるとかいう問題ではないただ持って生まれた性質のせいで、あのかわいらしい愛すべき生き物が、誰にも自分の本当の気持ちを言えず認めてもらえずに悲しい気持ちを抱えて傷ついてきたことを思うと、今すぐなんとかして過去に戻ってすみやかに若きセバスチャンの元へと赴き不安な彼を抱きしめてナニモシンパイシナイデイイトイイ、彼を苦しめたり意地悪をする人の前に仁王立ちして彼を守ってあげたいという衝動に駆られるのだった。

なので彼との別れの日を思うだけで今からもう泣きそうになる。

つーかなんなら今も書きながらすでに半泣きだ。

現代はインターネットも発達しているし、いつでもすぐに連絡も取りあうこともできる。

二度と会えなくなるわけじゃないのだから、絶対にまた会えるから、と泣きじゃくる私に向かって去っていく友人たちは皆そう言った。

そんなことは私にだってわかっている。

数々の別れの経験の中で、また会うことはできたとしても、でも、それでも、もうこんなふうに近く住んで腐れ縁の幼馴染のような、嫌というほど顔を合わせてたわいもない事で笑いあえたりする、そんな幸福な日々は二度と来ないことを私は知っている。

二度と会えない訳じゃなくても、今後の関係は今とは違うものになり、二度と同じ日々を過ごせることはない。

それを知っているから、もう充分に大人になってしまっているというのに、いや、だからこそ堪えきれずいつも私は泣いてしまうのだ。

いつだって旅立つ者よりも残された者のほうがつらい。

 

そしていつかお互いの知らない遠い町で知らぬ間に生きてそして死んでいく。

灯台に明かりをともすようにときどきお互いの状況を知らせ合うことがもしできたとしても、同じ空の下で近しく過ごせる時間はとても僅かで、さらに遠く離れてしまっては、極端なことを言えばお互いの死に目に合えるということもないだろう。

 

 

だけど、私の失敗ばかりのポンコツ人生の終わりが来た時に神様が、

 

ほほう、あなたはわりと残念な人でしたが、それにしては良い友人がたくさんいたようですね。。。ほう、メキシコ人の陽気で心優しいセバスチャンという友人も、、、。

あなたのずぼらのせいであまりその後はたいして連絡を取れていなかったようですが、、、。だがこれはなかなか楽しそうな人生でしたね、、、うーん、よし、特別にあなたは天国行きで!

 

と、おまけしてくれるような気がする。

 

だって、純日本人の私にして、メキシコ人の陽気で優しい友達のいた人生と、メキシコ人の陽気で優しい友人のいない人生との、どちらかが豊かそうだったかと問われれば、インパクトから言ってもきっと皆セバスチャンのいた人生のほうが良い人生じゃないかと判断するに決まっている。

少なくとも私ならぶっちぎりでそう判断しよう。

 

 

セバスチャンからいつまでここにいるかわからないとの報告を受けた私が、いじけて泣きまねをしながら帰ってしまったら嫌だと言うと、

 

いつまでここにいられるかはわからないけど、でも、できるだけ一緒に楽しもうね、と言って彼は笑った。

 

そうだ。

たとえ人生の中での少しの間を生活を共にできるだけだとしても、彼と一緒の時間をできるだけ楽しく過ごしたいと私も願う。

 そして私がセバスチャンを通じてまだ見ぬメキシコの地を好きになったように、私も、私を通じてセバスチャンが日本を好きになってくれるような人でありたいな、と思う。

 

 

ここサンパウロの現在の家に住む前には女子3人くらいでシェアハウスをして秘密トークのパジャマパーティーを開催することを熱望していた私であった。

 

実はセバとはたまにお互いの恋愛トークなども夜な夜な繰り広げている。

 

ある日、セバスチャンとここには内緒のガールズ&ゲーイズトークをしていた。

 

 

その日、彼はパジャマを着ていた。

 

 

 

 私の野望は思い描いていたものとは多少異なりながらも、彼のおかげで想像していたよりももっとゴキゲンな形で、気がつけば叶えられていた。