ブラジル・日本人サンバダンサーの華麗な日常

ブラジルに住む日本人サンバダンサーの全く華麗ではない日々

家の近所で銃を突き付けられた時の話

カーニバルも無事終わり、少しお休みをいただき、現在私はリオの別宅に来ている。

joe.hatenadiary.com


 ここらでも書いているように、リオの別宅は貧民街からほど近く、その中でも特に私の借りているアパートはクソ貧乏人のみが住めるある意味選ばれし者たちのアパートだ。

 

私のこの家は、ブラジルで最も悪名高い巨大ファベイラ(貧民街)であるコンプレックス・アレマオンからすぐのところに位置する。

もろファベーラでは無いが安全とは決して言えず普通の日本人が好んで住むような立地でも無く、だが慣れもあって私にはなんだかんだ居心地も良くてかなり気に入ってしまい、アパートを借りはじめてから早丸8年が過ぎた。

住み始めたころは警察とこのファベーラの一大抗争が巻き起こっている最中で、一年くらいは徒歩五分のところにあるファベーラの入り口に銃を持ったアーミーがでっかい装甲車の上に駐在していた。(それまで装甲車というものを間近で見たことがなかったため、なぜこんな家の近所の道に戦車が?。。。とおののき途方に暮れたものだった)

 

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装甲車参考資料。冗談ではなく、本当にこんな感じのものだった。

 

なので暴動が起きただの、銃撃戦が近くであっただのという話は日常茶飯事で、TVでニュースを見ていると、さっき帰り道で通ったばかりのところが暴動で焼き討ちにあっている、なんてことさえもあった。

 

そして去年、カーニバル後に久々にこの家を訪れようとリオに降り立ち、夜もそこそこ更けてきた時間だったのでUBER(安い民間タクシーのようなもの)を頼み、あと一分で家に着く、という時にふいに何者かの静止によって車が止められた。

ん?

と思ってその何者かを確認しようと目を向けると、そいつは逆におまたちは何者だ?と運転手と私の方向に向け銃を突き付けている。

 

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

ついにこの時がキターーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

いつか遭うかもしれないと覚悟はしていたが、恐怖のあまりイナズマのような衝撃が身体を貫き一瞬頭は真っ白になった。

 

“死”という一文字が脳裏に踊る。

 

パニックながらもなんとか持ち直し命だけは助けてもらえるよう、とりあえずもっている金目のものは全部出そうと震える指先で自分のバッグに手をかけようとするが、こういう時はバッグをまさぐるなど怪しい動きをするとズドンとやられる恐れがあることを思い出し、バッグはココにある、といつでも指させるよう心の準備だけしておく。

運転手さんは、僕はUBERの運転手でお客である彼女をここまで送っていくだけだ。彼女はここを曲がった角の家に住んでいるのだ、と説明している。

強盗と思われたその男は、運転手さんとしばし会話を交わした後、よし、じゃあ行って良し、と私たちのタマ(命)も金品も取らずに私たちを解放した。

 

彼の背中が遠ざかっているのをミラー越しに確認し、角を曲がって家の前で降りる時に、いったいアレは何だったのか?と運転手さんに慌てどもりながら聞いてみる。

アレはここらを仕切っているバンジード(マフィア)で、私たちが怪しい者でないかと疑い確認したんだよ、彼らのシマに入る時には車内の灯りとハザードランプを点けて走行しないといけない決まりになっているのに僕は知らなかったから点けていなかっただろう?それで奴に怪しまれてしまったんだよ。

運転手の彼もさすがに相当にビビっていたようだがさすがのリオっ子、上手に回避してくれたので本当にありがとうとお礼を言い、知らなかったとはいえ危ないところを通らせてしまいすまなかったと詫びて、戻りは別のルートを紹介しハザードを点けて帰っていただいた。

そんな目にはここらへんで一回も遭ったことは無く、今までそんな決まりなど無かった筈なので驚いて家に荷物を置きこけつまろびつ速攻で大家サンドラさんを訪ねた。

ついさっきあったことを興奮しながら話すもサンドラさんはこともなげに、

ああ、そうなのよ、最近バンジードがこっちのほうまで下りて来ていてね、そういう決まりになってるの。敵のバンジードとの抗争があってね、ファベーラに敵のバンジードが入ってこないように最近あそこに見張りが立っているのよ。

と、まるで夕食に何を食べたかと聞かれたくらいにサラっと言ってのける。

 

サンドラさんも別段普段と変わらない暮らしをしているようだった。

 

なので私の気もだんだんと落ち着いてきて、そうかそんなもんか、、、とは思えたが、やはり久々にリオに訪ねてくる時は非常に緊張しなければならず気が重くなってしまった。

ここ二年はリオのカーニバルで出ることもしておらず特に以前のようにしばしば来る必要は無くなっていた上にサンパウロでの生活の忙しさも相まって、この頃からさらに少しずつこの家から私の足は遠のいてしまっていった。