ブラジル・日本人サンバダンサーの華麗な日常

ブラジルに住む日本人サンバダンサーの全く華麗ではない日々

ブラジルコロナ禍の私の周りのごく私的な状況2

同居人であるモニーズィのお父さんがコロナに感染してしまった。

 

私とアリソンは、戸惑いながら気を遣い心配しつつ過ごしていた。

だいたい毎日夕方ごろ、モニーズィはお父さんの状態の連絡を家族から受け、一喜一憂してる。

そりゃそうだよな、と私たちは彼女が落ちているときはなるべく大人しく過ごしていた。

それでも彼女は強くて、お父さんの状況を聞いた後に涙ぐんだり部屋に引きこもっていることもあったが、だいたいは心配は忘れたように自らも今日は何する?と言ってきたりもして、三人で愉快に遊んだ。

私が彼女であったならば感情のまま同居人に八つ当たりをしたり、部屋に籠りきって誰とも話さずにもんもんとしてしまったのじゃないかと思い、彼女の“楽しむときには楽しむ”気丈な姿勢を心から尊敬した。

 

お父さんの入院は長引き、一カ月以上となっていた。

 

ずっとICUに入っていて、ご飯が食べられないので喉を切って管を通さなきゃいけ
ない、とか、肝臓をきれいにしないといけない、とかいう日々が続き、一カ月以上意識不明であったのだが、だんたん良くなってきた、という頃、

彼女はお母さんが寂しがっているからと、一旦実家に帰った。

 

 

お父さんは症状はあっても検査は2週間ほど受けられない状態で自宅待機をしており、やっと検査を受けられた時には重症化して即入院となってしまったということだった。

彼女の叔母さんは基本疾患があったため、コロナで既に一カ月ほど前に亡くなっていた。

その叔母さんの旦那さん(叔父さん)と、モニーズィのお母さんは熱などの症状こそ無いものの、匂いや味がずっと感じられないという状態のまま、検査を受けられないので今もそのままになっているということだった。

どうやら3月初旬の、まだブラジルではコロナ感染がそんなに広まっていない頃に、モニーズィの両親と叔母さん夫妻で国内に旅行に行ったときにどこからか感染してしまったのではないかという話だった。

 

 

そして三週間ほど前、何の前触れもなくモニーズィが久々に実家から帰ってきた。

 

彼女はこの家を引き払うことにしたので、明日には荷物をまとめて出ていく、という。

 

 

話を聞くと、お父さんは一週間前に亡くなってしまい、とりあえずお母さんと実家に住むことに決めたのだという。

 

どうしようもできずに、彼女を抱きめて一緒に泣いた。

 

メールとかで誰かに伝える気にはどうしてもなれなくて、、、急な話でごめんね、と彼女は言った。

 

 

でもね、私は幸運だったと思うの。普通はコロナに感染して亡くなったら、ずっと話もできなくて顔も見られないそのまま、お墓に埋められてしまうでしょ?

だけど私のお父さんは、最後にコロナは陰性になって少し良くなって意識も戻って、私は何度か病室を訪ねて話をすることができたの。

陰性にはなっても、結局身体がコロナのそれに耐えきれなくて亡くなってしまったのだけど、、、

私はあなたにも前に話していたじゃない?、お父さんは弁護士で、とても強く厳しい正しい人で、私のやりたいことを理解してくれなかったりして、今は親との関係がそんなに良くないって。

でもね、もうお父さんは意識が戻ってもちゃんとはしゃべれない状態で、声もちゃんと出せない状態で、でも、おまえを愛してる、って声にならない息で、繰り返し言ってくれたの。私もお父さんを愛してる、って何度も答えたわ。

だから、とても悲しいけど、まだ最後に会って話せた私は幸せだって思うの。

私もいろいろあってもお父さんのことが大好きだって伝えられて、お父さんも本当に私を愛しているっていうことがわかったから。

  

 

 彼女は落ち着いたらこの家に戻ってきたい、と言っていたが、遺産相続などでもめているらしくすぐには戻ってこれないようだった。残念ながら彼女の言葉はたぶん私への優しいリップサービスなのだろうと思う。

 

彼女の許可の元、数年前の彼女とお父さんの素敵な写真を載せます。

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 お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

今後彼女やご家族が心穏やかに過ごし、どうか幸せでありますように。